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建築・庭・禅が交差する空間体験──神勝寺を訪ねて

建築・庭・禅が交差する空間体験──神勝寺を訪ねて

福山市にある神勝寺は、禅寺でありながら、現代建築・アート・日本庭園が高い次元で融合した稀有な場所です。
この寺を歩く体験は、建築を「鑑賞」するというより、身体で読み解いていくプロセスに近いものがあります。
本稿では、実際の動線に沿いながら、建築的な視点と建築家それぞれの思想に踏み込み、神勝寺という空間の奥行きを整理してみたいと思います。

 

 

1. 境界を越える建築 ── 藤森照信《松堂》

建築的解説
正門をくぐって最初に現れる《松堂》は、神勝寺における結界装置とも言える建築です。
ここは単なる受付機能にとどまらず、「日常」から「修行・思索の場」へと意識を切り替えるための前室として設計されています。
土壁、木、銅板といった素材は、経年変化を前提としたものであり、完成の瞬間よりも「時間とともに育つ建築」として存在しています。人工物でありながら、自然の一部として風景に溶け込む姿勢が明確です。

建築家・藤森照信の思想
藤森照信氏は、建築史家でありながら、自らの建築では**「近代建築の文法」から距離を取る**姿勢で知られています。
彼の建築は、洗練や合理性よりも、野性味・土着性・身体感覚を重視します。
《松堂》においても、寸法や納まりの厳密さ以上に、「触れたときの感触」「匂い」「重さ」といった五感が強く意識されています。
禅寺の入口にこの建築が置かれていること自体が、神勝寺の姿勢を象徴しているように感じられました。

銅板波板の屋根の先には、本当に「松」が植えられています。何だかムーミンの世界観です(笑)。

 

 

2. 光と水がつくる無限性 ── 名和晃平《洸庭》

建築的解説
《洸庭》は、建築・彫刻・庭園の境界が意図的に曖昧にされた空間です。
水盤、反射、透過素材によって、実体の輪郭は溶かされ、空・庭・建築が相互に映り込みます。
この空間では、建築は「固定された形」ではなく、環境によって常に変化する現象として立ち現れます。
視点を少し変えるだけで、奥行きやスケール感が揺らぐ体験は、禅における「無常」や「空」の感覚とも重なります。

建築家・名和晃平の思想
名和晃平氏は、彫刻家として「状態(State)」や「変換(Trans)」をテーマに活動してきました。
彼にとって建築は、機能的な箱ではなく、知覚を変容させるメディアです。
《洸庭》では、自己の存在すら相対化されるような感覚が生まれます。
建築が主張するのではなく、見る者の意識そのものを揺さぶる点に、名和氏ならではのアプローチがはっきりと表れています。

 

 

まるで、宇宙船のようなフォルムの建物で、軒裏が船底のような形状をしています。内部は、「瞑想」の体験ができる空間。

 

 

 

3. 「何もない」ことの強度 ── 中村昌生《秀路軒》

建築的解説
《秀路軒》は、表千家を代表する書院建築であり、日本建築の精神性が極限まで研ぎ澄まされた空間です。
構成はきわめて静かで、過剰な意匠は一切ありません。
しかし、柱の太さ、床の高さ、開口の位置、光の入り方──そのすべてが厳密に制御され、空間に緊張感を生み出しています。
「何もない」のではなく、「余分なものが削ぎ落とされた結果としての充実」が、ここにはあります。
表千家を代表する書院「残月亭」と茶室「不審庵」を創建当初の姿で再現した建物で、茶室の奥深さを感じることができる名建築です。

建築家・中村昌生の思想
中村昌生氏は、数寄屋建築の現代的継承者として、日本建築の本質を深く探求してきた建築家です。
彼の建築は常に、「形式」よりも「作法」や「佇まい」を重視します。
《秀路軒》では、建築が前に出ることはありません。
主役は人の所作であり、茶の湯の時間そのものです。
建築はあくまでそれを支える「背景」として存在し、その控えめさこそが最大の表現となっています。

表千家「不審庵」の三畳茶室は、現代建築にも通じる様々な工夫がなされていました。
例えば、土壁の巾木部分は、和紙が貼られ着物の帯が汚れないようにされています。天窓が設けてあり程よい木漏れ日がさす工夫がなされていました。また、現代の建築でも多く採用されている、曲線の出入口なども当時からデザインされていたことに驚きました。

 

茶室横の茶器の洗い場(現代の台所)です。
棚の一段一段が、機能面とデザインを兼ね備えた計算された空間のように思えます。

 

秀吉がお茶を飲んだ部屋とされています。窓を開けると素朴な印象の利休堂が目にはいります。
利休堂は、多くの来訪者が訪れた際の待合室だそうです。

 

様々な、建築学的な工夫がなされています。例えば、奥に行くにつれ窓の高さを低くしています。これは遠近法を利用し目を錯覚させ部屋を広く見せる工夫です。さらに、天井も勾配を付け奥行き感を出しています。

 

この写真は、九畳の間にある「ふすま」に貼られたふすま紙です。幾重に貼り重ねて紋章を作っているそうで、「五七桐(ごしちのきり)」の紋章です。
「桐の御紋」(きりのごもん)とは、桐の葉と花を図案化した日本の家紋(紋章)の総称で、元来は天皇家の紋であり、**日本政府の紋章(五七桐)**としても使われ、豊臣秀吉などが用いて全国的に広まり、格式高い紋章として名高いものです。特に「五七桐(ごしちのきり)」は天皇家や政府が使用し、「五三桐(ごさんのきり)」は武家などで広く用いられ、数(花弁の数)によって呼び名が変わるのが特徴です。
明るい光では、紋章が見えにくく、あえて薄暗いロウソクの灯で紋章が見えるように職人の手で作られています。

 

 

4. 神勝寺という「編集された空間」

神勝寺全体を通して感じるのは、建築家の個性が強く表れながらも、互いに衝突していないという点です。
それぞれの建築は独立していながら、「禅」「自然」「時間」という共通の軸で丁寧に編集されています。
藤森照信がつくる〈地に近い建築〉
名和晃平が提示する〈知覚を揺さぶる建築〉
中村昌生が体現する〈精神を支える建築〉
これらが一つの寺院の中で共存していること自体、非常に稀であり、神勝寺の価値を決定づけている要素だと感じました。

「含空院」は、滋賀県臨済宗永源寺派大本山永源寺より移築再建した建物で、築350年以上を経た葦葺きの重厚な印象の建物です。

 

 

おわりに

神勝寺は、「静かに歩き、立ち止まり、考える」ための場所です。
建築は雄弁に語るのではなく、沈黙の中で問いを投げかけてきます。
建築が人の精神にどこまで寄り添えるのか。
その答えの一端を、神勝寺は確かに示しているように感じました。時間があれば、再度ゆっくり訪れたい場所です。

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